まっくろせかい - 零版

幻想的〝芸術解題〟集

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祈りが言葉に変わる頃


私はネット配信を通じて音楽を購入することなどめったにないのだが、
鬼束ちひろの 『 祈りが言葉に変わる頃 』 は、昨年なぜか購入した。
こういうのを 「 魔がさした 」 というのだろうか。


この曲は、2014年6月に公開されたホラー映画 『 呪怨 -終わりの始まり- 』 の主題歌で、2014年5月28日から配信のみでリリースされている。
映画のテレビCMのバックで何やらゴニョゴニョと流れていた、あの曲だ。

映画の舞台挨拶に登場した鬼束ちひろの言によれば、エンドロールで席を立った観客は鬼束御本人に呪っていただけるそうだが、この曲はむしろ購入したほうが呪われそうな気がする。
わざわざ自分のパソコンに呪いをダウンロードするようなものではないか。


ジャケ写では、映画に登場する 「 トシオ 」 が鋭い視線をこちらに向けている。

すでに一部で指摘されていることでもあるが、 『 祈りが言葉に変わる頃 』 というタイトルは、宇多田ヒカルの 『 誰かの願いが叶うころ 』 と語呂がゼッタイに似てると思うのだけれど、少しくらいは意識したのだろうか。


祈りが言葉に変わる頃


キャラの激変ぶりが一時巷で話題となった鬼束ちひろだが、
昨年10月30日放送のフジテレビ系バラエティ番組 『 アウト×デラックス 』 では、

「 曲作りは趣味みたいな領域になってるんで、あんまり苦労しないです。(中略) 昔からですよ。あんまり苦労しません、曲書くには 」 と語っていた。


そんな鬼束の書いた今回のこの作品は、ホラー映画の主題歌らしく陰惨なムードを前面に出したものとはなっているが、デビュー当時の彼女を思わせるような聖的で孤高なイメージは取り除かれ、むしろ血生臭いなかにも、地上に降り立った鬼束のナマの息づかいが感じられるような世界を構築している。
言い換えれば、純粋にアーティスティックなものにこだわらず、エンターテインメントの部分を意識的に多く取り混ぜた作品となっているように思う。



曲は、ピアノの単調なメロディがねっとりと憑き纏うなか、
湿った恍惚感を伴うような、もつれ気味の歌唱から始まる。

かすれた光
どうか消さないで
影が見えなくなる
どうかふみつけないで


そして

忍び寄る 足跡 ゆっくりと
忍び寄る 足跡 ゆっくりと
忍び寄る 足跡 ゆっくりと


呪わしく繰り返される不気味なフレーズ。
「 ゆっくりと 」 のあとの息を抜く感じが執拗に追い立てる。
忍び寄るものが足音ではなく 「 足跡 」 であるのも不吉な表現だ。

貴方の心臓を食べる時
どうかどうか振り向かないで
貴方の三日月にのぼる時
どうかどうか振り向かないで


露骨にグロテスクな 「 心臓を食べる時 」 という表現と、
遠まわしで暗示的な 「 三日月にのぼる時 」 という表現を使って、
ただならぬ領域に足を踏み入れてしまったことを物語るかのようだ。

ほかにも 「 薬芽(くすりめ)にからまる 」 や 「 空洞をむさぼる 」 など
残酷な中にもエロティシズムを暗示するような描写が意図的に駆使されている。


不気味で難解な作品ではあるが、
鬼束の歌おうとしたテーマを端的に表わすとすれば、
おそらくそれは、恐怖とエロスであろう。


映画 『 呪怨 -終わりの始まり- 』 は、はてしなく続く救いのない物語であり、観客は次々と絶望の光景を突きつけられるが、そのなかにあって唯一の救いとも言えるのが、佐々木希演じる新人教師・結衣の無垢な美しさではないかと思う。
そんな結衣も最後には 「 究極の絶望 」 を目のあたりにすることになるのだが、その狂った世界の中で なおも生かされ続けるであろう彼女の残酷な運命は、ひとつの歪んだエロティシズムの完成形とも言えるのではないだろうか。


その意味では、主題歌 『 祈りが言葉に変わる頃 』 は、映画本編の背後に隠された陰のモチーフを、仄かに照らし出す妖しい光のような作品というべきかもしれない。

だからこそ、エンドロールでゆめゆめ席を立つことなかれ。
その惨劇の本当の意味を見逃さないためにも。






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  1. 2015/02/21(土) 22:10:09|
  2. 音楽
  3. | コメント:0

『 姫様ズーム・イン 』 - もうひとつの姫物語


ちょっと前に、とりあえず何か聴きたい時には谷山浩子の暗い曲、
みたいなことを書いたけど、
それが現在の私の小さなブームだとしても、
よく聴く曲のパターンというのは、自分の生活史の中でどんどん更新されていく。
いつも同じ歌が好きというわけじゃない。まぁそんなことはあたりまえだけど。


けど、自分的に言わせてもらえば、
音楽の魅力というのは、究極的には
その作品がどれだけ官能に訴える力を持っているかという点にかかっていると思う。

なにもこれは、今回とりあげる曲が少しばかりエロいテイストの曲だから
そんなふうに言うわけではない。
「 官能 」 はセクシャルな部分も含めて、人間のすべての本能的欲求の到達点だ。


たくさん持っているCDやレコードの中で、繰り返し何度も聴くのは、
やはりなんらかの意味で聴いていて気持ちのいい曲であり、
とりわけ歌い手の声が官能的な魅力を持っている作品は何度も聴きたくなる。

もちろん歌詞やメロディやアレンジも重要ですよ。
でも声に魅力がなければ作品の価値は大きく損なわれてしまう。

ファンタジックな次元で語るとすれば、
シンガーにとっての声は、聴く者の感性に触れる手足や指先のようなものだ。



で、特に 「 最近の 」 お気に入りというわけではないのだが、
もうリリースされてから30年近く、結構コンスタントにプレーヤーにかける機会の多いのが、
今回とりあげる森川美穂の 『 姫様ズーム・イン 』 (1986年10月) だ。


これは、1985年デビューの森川美穂にとって、5枚目のシングルとなる。

タイトルや歌詞に 「 ズーム・イン 」 という言葉が出てくるのは、
この曲がミノルタカメラ 「 AFテレ 」 のCMソングだったから。
ちなみに 「 姫様 」 と書いて 「 ひいさま 」 と読む。

最初は当然ドーナツ盤のレコードでリリースされたが、
1988年3月には同一内容のものが8センチCDシングルで再リリースされている。


明るくリズミカルなメロディに
森川美穂の力強いボーカルがよく映える。

コミカルで、ちょっとエロティック。
もどかしいけれど嬉しくて仕方のないデートの時間がエンドレスで続いていくような、
夢のように楽しい曲だ。



で、物語のほうはというと、

これは簡単に言っちゃうと、
今で言う 「 肉食系女子 」 のヒロインが、
オタクっぽいマジメな男のコに惚れてしまうという、
まぁ 「 実際にはそんなことねーだろ! 」 というような設定のお話なのです。

でも私の経験からすると、
「 一体これはどーゆー組み合わせなんだ!? 」 と思うような
信じられない感じのカップルを街なかで目撃することが
極々まれに (本当にレアですけど) ありますから、
この曲のようなシチュエーションなんて、ちっとも不思議ではないとホント思うのです。

世界は広いし、 「 事実は小説より奇なり。恋はJ-POPより珍なり 」 とでも言うべきでしょうか。


で、デートで海沿いのパーキングに車を止めて、
彼女のほうは早いとこ先に進みたいんだけど、
マジメな彼はそんな気持ちを少しも察してくれないという状況。
車でデートするくらいだから、おそらく2人は大学生以上なのだろう。


彼女は肉食系 (←これはもうやめようか) ということで、
言葉遣いも少々粗野な感じになるのはわかるのですが、

私には何度聴いても頭が混乱してしまう箇所が一つあって、
それがココ。


あー 見こみなしのマザ・コン
あー 先にそそった おまえだけど



「 先に誘った 」 だったら意味わかるんですけど、
「 先にそそった 」 なんて言葉の使い方したことないから、
一体どっちがどうなったんだか、聴く度にいちいち引っかかるよ。

まぁたぶん、彼のほうからアプローチをかけたわけではないにしろ、
とにかく彼女が惚れてしまうような出来事が何かあったということでしょうね。



なんにせよ、この曲の一番の聴きどころは
「 Shira Yuki姫 」 が登場するパワフルなクライマックス。
森川美穂のボーカリストとしての力量に圧倒される至福の展開が始まる。


Shira Yuki姫はじめ
ほらリンゴは食べごろだよ
噛めば 愛の血が満ちる



いきなり 「 Shira Yuki姫 」 (白雪姫?) が出てくるのは、単なる言葉遊び?
歌ってるのは Miho なのだし、リンゴというアイテムが先にあったのか白雪姫が先なのか…。


童話の白雪姫は毒リンゴで深い眠りに落ちてしまうけど、
ここでのリンゴは、どうやらヒロイン自身の象徴らしい。
そして、今度は彼女が 「 そそる 」 番というわけだ。


考えてみれば、リンゴにしろ何にしろ、
食欲を 「 そそる 」 というのは、いつも食べる側の人間目線で
(だからこそ人間どうしの関係で、曖昧に 「 そそる 」 という言葉を使うと混乱するのだが)、
もし食べられるリンゴの側に立てば、 「 そそる 」 というのは誘惑の表現だ。

それはつまり、 “ 食べごろだよ。ひとくち齧ってごらん ” って言ってるわけだけど、
それって、まるまる 『 白雪姫 』 に出てくる (リンゴ売りに変装した) 継母の王妃のセリフだよね。

なんだ。だから 「 Shira Yuki姫 」 というわけか!


食べさせるリンゴは、ある意味確かに “毒” リンゴなのだけど(爆)、
食べさせる相手は憎い継子の姫ではなく、惚れてしまった男のコ。
いってみれば 「 王子様 」 なのかな?
そう。これは、姫が王子にリンゴを食べさせる物語だ。



「 Shira Yuki姫 」 はリフレインのたびに登場するけど、

いちばん最初の 「 Shira Yuki姫はじめ 」 は、
まさに私家版 「 白雪姫 」 作戦をこれから決行するという宣言のようだし、
そのあとに続いて

Shira Yuki姫まじめ / Shira Yuki姫いじめ / Shira Yuki姫けじめ


などと変化していくあたり、じっさい言葉遊びも窮まれりという感もあるけれど、
なんとかリンゴ (つまり自分) を食べさせようと四苦八苦しているヒロインの心情を捉えた表現にもなっているわけだ。
ただの言葉遊びというわけでもないんだね。




「 Shira Yuki姫 」 の謎解き(?)が終わったら、
あとはもう森川美穂のパワフルボイスに身をゆだねながら、
この愛すべきもうひとつの 『 白雪姫 』 の物語の行く末に思いを馳せてみよう。
意外に純情な姫の心の中が、あなたにも見えてくるかもしれない。





ところで、某動画サイトには、テレビでこの曲を歌う森川美穂の動画がアップされている。

振り付けも (特にサビの部分とか) 結構切れのいい感じで、
細かい表情にも気を配って活き活きと歌ってるのを見ると、
ホント歌うことが好きなんだとわかるし、
みんなを楽しませようとするプロとしての意識の高さも窺える。


この曲を歌ってた頃の森川美穂は、まだ純粋に 「 アイドル歌手 」 として活動していたわけだけど、
次のシングルの 『 おんなになあれ 』 (1987年3月) あたりから次第にアーティスト志向を前面に出してくる。

というか、それは以前から森川美穂自身が目指していた方向性でもあっただろうし、
『 おんなになあれ 』 という曲に彼女がインスパイアされた部分も大きかっただろう。




で、そのあたりの事情とも絡んでくるのだけど…、
じつを言うと、私はずっと
この 『 姫様ズーム・イン 』 という曲のことを森川美穂本人が凄く嫌っているのだと
何の根拠もなく、ごく最近まで思い続けていたのだ。

森川自身がそんな発言をしたのを聞いたことなんて一度もないのにだ。
どうしてそう思うようになったのかは、よくわからない。

ただ、アイドルだった森川美穂がアーティストとして大成していく様子を見て、
(それも熱烈なファンとしてではなく、一人の傍観者のように垣間見るだけの年月のなかで)
自分はこの 『 姫様ズーム・イン 』 が大好きだけど、
彼女はもう歌いたくもないんだ、などと一人で思い込んでいた。
彼女のライブにも行ったことないくせに。


これもまた一人のアーティストに対する私の幻想、またの名をファンタジーと言うべきか。
なんていうネガティブなファンタジーなんだ!



それで今回この記事を書くにあたって、
森川美穂のオフィシャルブログでブログ内検索をかけてみた。
そしたら 「 姫様ズーム・イン 」 で1件ヒット。

2009年11月の記事で
「 もし還暦まで歌い続けていたとしたら、その時のセットリスト10曲は? 」
という趣旨の質問に対する答えの10曲の中に 『 姫様ズーム・イン 』 がちゃんと入ってた。

おそらくライブとかでも歌ってたんでしょうね。


自分の馬鹿さ加減に安心(?)して、
めでたしめでたしといったところだけど、

これで私がアイドル批評家としてモグリだということがバレてしまいましたね。


いや、めでたしめでたし。





  1. 2014/10/13(月) 23:06:01|
  2. 音楽
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『 私の16才 』 - 届かない告白の行方


「 夢 」 という言葉には、
眠っている時に見る夢の意味と、
実現するかどうかわからないけど将来やりたいこと、といった感じの意味と、2つありますよね。
(2つ目のはちょっと辞書で引いてから書いてみました。)

で、英語の dream にも両方の意味があるから、
おそらくこの2つ目の意味は、英語の dream の使い方を真似るような形で
日本語の 「 夢 」 もそういう使い方をするようになったとのだと思います。

だから、これは戦後からのことなのか、あるいはもっと古く別の欧州の言語からの影響も受けて
そういう使い方をしていたのか、まぁそこのところはちょっとわかりませんが…。


「 夢や希望 」 の話は以前にも書いていますが (8月17日付 『 鏡の中のあなたへ 』 参照) 、
じつのところ、私自身は 「 夢 」 という言葉、あんまり好きではない。


子供の頃も、将来なりたい職業なんて無かった。
たわむれに 「 電車の運転手になりたい 」 ぐらいのことは言ったかもしれないが、
なりたくない職業はあっても、本当になりたい職業など無かった。

人の役に立ちたいなんて思ったこともない。
人と関わることなど想定していない。
積極的・社交的に生きろみたいなことを学校の教師は言うけれど、
それを言っている人間が信用できない。
なりたくない職業は学校の先生だった。まだ小学生の頃の話だ。

小学校なんてものは馬鹿の養成機関だと本気で思う。
みんな小さいうちから 「 世間 」 の価値観に染まりきって、
最初から破綻した論理で頭をまわして生きていくことを学ぶ。



「 夢は実現しなければ意味がない 」 などと言うやつがいる。
勝手にしてくれ。

「 アイドルは夢を売る職業だ 」 とか言うやつもいる。
それってちゃんと意味がわかって言ってるのか?


これはアイドルというものの本質に関わる問題じゃないか。



「 アイドル 」 なんて言葉、今となっては、やや聞きすたれた感もありますが、
1980年代をピークに、かつて隆盛を極めた女性アイドルたちのなかで、
今でも現役バリバリで活動している最古参の大物アイドルといえば、誰を思い浮かべるでしょう。

私なら、やはり小泉今日子だ。

松田聖子という声も当然あがると思うけど、
小泉よりレコードデビューで2年先輩の松田聖子は、
いろいろあってもやっぱり優等生だから、私としてはあまり語りたくはない人だ。


そんな、優等生とは違う、ある種のカウンターパワーをもって日本を席巻することになる小泉今日子が、
まだそんな片鱗も見せない1982年、デビュー曲としてリリースしたのが 『 私の16才 』 だ。

知っている人も多いと思いますが、この 『 私の16才 』 という曲は、
かつて 森まどかが歌った 『 ねえ・ねえ・ねえ 』 (1979年)という曲のタイトルを変えて
小泉今日子がカバーしたものです (詞やメロディは原曲と同じ) 。


これは、もう純粋に片想いの世界。
好きな 「 あなた 」 に自分の気持ちを伝えたくて、
髪に紅いリラの花をさして待つのだけれど、 「 あなた 」 は 「 花言葉もわからない おバカさん 」 なので、
もちろん気持ちなど伝わるはずもない。

片想い。これは実現されることを待ち望む 「 夢 」 の一つの形でしょうか。


片想いといえば、私は頭の隅に長いあいだ引っかかっている一つのエピソードを思い出します。

私も学生時代には中高生向けのラジオ番組などをよく聞いていたものですが、
そんな番組によくあったのが、ごく軽いノリの 「 恋愛相談 」 のコーナー。
そこに寄せられるリスナーからの相談には、片想いに関する悩みの相談も多かったのですけれど、
不思議と何度も耳にするパターンとして、
「 片想いしている彼 (または彼女) になかなか気持ちを打ち明けられない。告白するべきでしょうか? 」
というものがありました。

でも、この手の相談に対する回答は、ほぼ決まりきったもので、
方法やタイミングの問題はあるものの、まず100パーセント 「 告白するべきです 」 と回答するのが常でした。

まぁそれも当然といえば当然かもしれません。
告白せずに諦めるよりも、ダメでもともと当たって砕けろ的な、
「 夢は叶えるためにある 」 的な、当時としては至極あたりまえな発想が大前提だったと思うし、
相談する側だって、むしろ背中を押してくれぐらいのニュアンスで相談していたんだと思います。

けど、そんな中、 「 告白しないままのほうがいい場合もある 」 という稀有な回答を一度だけ聞いたことがあります。
そう答えたのは、デビューしてまだ間もないシンガーソングライターの沢田聖子でした。
私の記憶が正しければ、大阪の毎日放送で 『 MBSヤングタウン 』 のパーソナリティを務めていた時のことです。
相談内容の詳細までは覚えていないのですが、
判で押したように皆が積極志向でものを言う当時の風潮に一石を投じるような沢田聖子のこの回答は、
私にとっては随分と印象的な出来事でした。



ところで、ひとくちに 「 片想い 」 の曲といっても様々で、

これから告白しようとドキドキしてる時の歌があるかと思えば。
逆に 「 片想いされてるんだけどこっちにはその気が全然ないのに困ったな 」 的な歌までいろいろある。


でも意外にも、いちばん多いんじゃないかと思うくらいしばしば登場するのが、
最初から告白するつもりなんて (おそらく) 全くないパターンの曲だ。


さらに言えば、この告白しないパターンの曲の中にも、いろいろと細かいバリエーションがあります。

誰も知らない、片想いの 「 あなた 」 との関係を秘かな喜びとして歌う、独特の透明感が印象的な
村田恵里のデビュー曲 『 オペラグラスの中でだけ 』 (1985年)。

告白する勇気もなく、ただただ届かない想いを抱いたまま涙に暮れる
佐野量子の 『 蒼いピアニシモ 』 (1985年)。


そして、今回とりあげた小泉今日子の 『 私の16才 』 もまた 「 告白しない片想い 」 の歌だと思います。

髪に紅いリラの花をさして、好きな 「 あなた 」 の前に現れる。
それに 「 あなた 」 が気付いてその恋が実れば、なんという素晴らしいファンタジーでしょう。

でも現実は違うはずだ。
髪にさした花が自分へのメッセージなのだと一体誰が気付くだろうか。
だいいち何の花なのか、花の名前さえわからない。
ましてや花言葉なんて知っているはずもない。



身もフタもないことを言うようだけど、ここはおとぎの国ではなかったはずだ。
『 私の16才 』 のヒロインは、一見挑発的な態度をとっているかように思えてしまいますが、
本当は初めから両想いになれることを (現実的に) 期待などしていないのではないでしょうか。

「 あなた 」 が気付かないのは 「 花言葉も知らない おバカさん 」 だからではなく、
彼女が現実的なアプローチを何一つせずに、
ただひたすら自分の空想の世界に酔いしれているだけだからです。


この一種の 「 自己陶酔感 」 は 『 私の16才 』 に限らず、
前述した村田恵里や佐野量子の片想いの曲の中にも見られるものです。



とりわけ村田恵里の 『 オペラグラスの中でだけ 』 には 「 自己陶酔感 」 が顕著に現れている。
曲が始まればすぐに、幸せな空気に包まれた心の風景が目の前に広がるはずだ。

例によってと言うべきか、この曲の中でも、
「 わたし 」 は 「 あなた 」 と同じブルーのスニーカーを履いて
「 あなたの前をそれとなく歩い 」 たりしてみせる。

これは、髪に花をさすファンタジックなサインに比べれば、ずっと現実的なアプローチだと私は思いますが、
告白こそしないけれど、いつか気付いてくれることを待ち望む切ない想いは、やはり健在なのです。

そして、この 『 オペラグラス… 』 のとても素晴らしいところは、
全体のイメージは空想的で明るい陶酔感に満ちてはいるけれど、
自己完結的に安定していて、歪んだ妄想や挑発には決して走らない理性が感じられる点だと思う。
「 わたし 」 は言う。

「 一度好きよと言ったなら だれにも 取り消せないの 」

『 オペラグラスの中でだけ 』 のヒロインは知っている。
「 実現されることのない夢 」 の一つのあり方というものを。
諦めとも失恋とも違う、特別な恋の境地を。

それは、かつて沢田聖子が恋愛相談の回答のなかで伝えようとしたイメージにも通じるものだと思います。



一体どういう経緯で森まどかの 『 ねえ・ねえ・ねえ 』 という曲が
小泉今日子のデビュー曲としてサルベージされることになったのか、私は寡聞にして知りませんが、
「 告白することのない片想い 」 あるいは 「 実現されることのない夢 」 を秘かなモチーフにした 『 私の16才 』 は、
その後続々とヒットを飛ばし続け、
『 なんてったってアイドル 』 (1985年) でアイドルの高みにまで登りつめた後も
ビッグネームとして着実にキャリアを重ねながら現在のポジションにまで至る
小泉今日子の長い道のりの出発点となりました。



あらためて小泉今日子の初期のベスト盤を聴いてみて思う。

夢と現実の境界をそっと取り払うように、
『 私の16才 』 から始まる一連の作品世界と
一人のアイドルが歩んできた道のりを重ね合わせて、

小泉今日子と私たちとの 「 恋 」 の歴史を振り返るとすれば、
それはこんな物語になるのではないか。


「 ありふれた通学路、現実世界の風景の片隅で髪に花をさして
自分のファンタジーから抜け出せず、
夢を叶えるすべを持たなかったヒロインは、

時を経て、自身の内に秘めたファンタジーの力を次第に強めながら、
やがて世界に次々と光を放つように
誰も見たことのないアプローチの数々で私たちを魅了し始める 」
                

ファンタジーで現実を変えられなかった一人の少女が、
現実をファンタジックな夢の世界へと塗り変えてゆく姿を、
私たちは目にしてきたのかもしれません。






リラの花言葉は、 「 初恋の感激にふるえています 」 。







  1. 2014/09/14(日) 23:35:23|
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鏡の中のあなたへ


谷山浩子の曲で中でいちばん好きなのは、 『 あたしの恋人 』 だ。


鬱々とした気分の時はもちろん、
とりあえず何か聴きたいと思った時などにも、まずこれを聴いたりします。

『 鏡の中のあなたへ 』(1978年) というアルバムの1曲目に入っている曲で、
私は復刻版のCDで聴いてますが、

まず1曲目の 『 あたしの恋人 』 を聴いて、
2曲目の 『 桜貝 』 は聴くこともあるけど大抵は飛ばして、
3曲目の 『 紙ひこうき 』 を聴いたらそれで一段落。

そして、また戻って 『 あたしの恋人 』 と 『 紙ひこうき 』 を何度も聴いたりする。
(そして時々 『 窓 』 を聴いたり 『 星のマリオネット 』 を聴いたり…。)



『 あたしの恋人 』 。この救いようもなく暗い曲は、
ぜひ miwaさんにカバーしてもらいたいです(笑)。 ←しないしない。

まぁ(いくら御本人と一緒とはいえ)和田アキ子の 『 古い日記 』 を歌うくらいだったら、
こっちのほうがずっといいと思うんですけどね。
( 「 MUSIC FAIR 」 で歌うだけならまだしも、 「 FNSうたの夏まつり 」 でまたやるなんて! あとももクロ出すぎ!)


『 紙ひこうき 』 のほうは、
NHKか何かの合唱コンクールで中学や高校の合唱部の皆さんに熱唱してもらいたいです。 ←ないない。

「 あの人のむねーにーー つきささ~れ~~~~!!! 」

と表情も豊かに歌いあげれば、なかなか様になると思うのですが、どうでしょう?




とまぁ冗談(?)はさておいて、

『 あたしの恋人 』 と 『 紙ひこうき 』 は、どちらも絶望的で、夢も希望もないような曲ですが、
私は、まだ 『 紙ひこうき 』 のほうが僅かに救いがあると思うのです。

なぜそう思うかといえば、 『 紙ひこうき 』 にはまだ 「 夢や希望 」 があると思うから。

確かに 『 紙ひこうき 』 では

「 何も欲しくない 何も夢みない 」 と歌われています。

でも、数限りなく紙ひこうきを折り続ける行為の背後には、
そんな行為に彼女を駆りたてる心の原動力があるわけです。
(たとえそれが憎しみに支配された結果の所業だったとしても)

私は思います。その原動力が 「 夢や希望 」 です。


「 夢や希望 」 は、遠くにあるものやキレイなものばかりとは限らない。
人間を何らかの行動に駆りたてるものは、すべて 「 夢や希望 」 だ。

「 明日のあの仕事、どう切り抜けよう 」 とか 「 晩ごはんのおかず買いに行かなくちゃ 」 とか
考えている人には 「 夢や希望 」 がある。

何も考えていないようでも、
飯を食って、便所に行ってクソをしてケツを拭く人は、 「 夢や希望 」 がある人です。


輝かしいものでなくても、身近な日常の中のことでも、必要に迫られてやっていることでも、
人がそれをやっているのは、その人の中にそれをさせる原動力 「 夢や希望 」 があるから。



何を説教くさいこと言ってるんだって思うでしょう。

じゃあ、 「 夢や希望 」 がなくなったら人間はどうなるか?


眠ってしまうんです。
「 もうどうでもいいや 」 と言って寝てしまう。
そうして、やがて死んでしまうのです。

(もっとも、大抵の場合は、その前にむっくりと起き上がって、
再び何やらゴソゴソと始めるというのが現実でしょうが…。)


さてどうでしょう。
「 夢や希望 」 について、説教くさく長々と書きましたが、
私がそんなふうに考えるようになったのは、
ある物語の中のちょっとしたエピソードにインスパイアされて以来のことなのです。

その物語というのは、NHKでやってたアニメの 『 カスミン 』 。
で、私が 「 むむむ 」 と思ったのは次のようなお話。


「 三つ編み様 」 というしっぽの3本ある猫みたいな妖怪(?)がいて、
そいつは人間一人一人が持っている 「 夢や希望 」 の源である 「 心珠(こころだま) 」 を食ってしまうんですけど、
食われた人間は 「 もうどうでもいい 」 とか言って、その場で眠ってしまう。
そんなちょっとしたお話。(まぁそれなりに怖いといえば怖い。)


では、何の志もなくボーっと生きてる奴は眠らないかといえば、そんなことはなかったから。
つまらない奴も、それなりの 「 夢や希望 」 という原動力を持って生きている。


まぁ普通はそんないろいろな原動力の中から、
ある程度大きな価値があって、生活の質を心的に高めてくれるようなものだけを
「 夢 」 とか 「 希望 」 とか呼んだりするんでしょうけどね。




谷山浩子の 『 紙ひこうき 』 の世界の中には、
「 絶望 」 と 「 夢や希望 」 が共存している。
そんな言い方は、あまりにもおかしいですかね?

考えようによっては、
「 もうどうでもいい 」 と感じる領域が増えれば増えるほど、
その人の人生は疲弊して、 「 絶望 」 が大きくなっていると言えるかもしれません。

そんな絶望を背負ってキリキリと音を立てながら
小さな 「 希望 」 にしがみついて生きている。
それが 『 紙ひこうき 』 の世界ではないでしょうか。





では、 『 あたしの恋人 』 の 「 あたし 」 と 「 あの人 」 の場合はどうでしょう。

すいません。
miwaさん、ぜひ歌ってください(笑)。








  1. 2014/08/17(日) 23:34:13|
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